こりくつ手帖

なにかというとすぐに例え話をはじめる20th century girl

「恋愛工学はキモい」と「女の子はスッピンがいい」は似ている

私がツイッターを初めた頃に燃え上がっていた恋愛工学。この単語をまたもやTL上でちらほらと見かけるようになった。恋愛工学考案者・藤沢氏による小説「ぼくは愛を証明しようと思う。」が出版されたことによる。この小説をcakesというサイトで覗いてみた。

全体的な感想としては、「使えそうなテクニックの紹介をベースに、それらの実行へのハードルとなる抵抗感・罪悪感を取り除く呪文をところどころに添え、読者にイケてる自分をイメージさせる描写をちりばめた気の利いた教本」である。

一部で「キモい」「ゲスい」「こんなのは恋愛じゃない」と酷評される恋愛工学。

たしかに恋愛工学者とのエンカウント体験の中にはキモい以外にかける言葉が見当たらない案件(恋愛工学読者のアポを断った話 - アオヤギさんたら読まずに食べた)もあり、酷評が出るのもわかる。だがこれを求める人がいることもわかるし、酷評を聞いた工学者たちが「そんなこと言ったって、こうすれば女がついてくるし、こうしないとついてこないじゃないか」と反発するのもなんとなくわかる。

誰も傷つかなければそれがいいけど、いろんな人がいろんなことを感じ、語るのは止められない。同様に、恋愛工学を説得してやめさせる、というのは難しい。かなりの無力感がある。

 

そんなことを外野オブ外野の私(31歳子持ち既婚女、特別男女関係に精通するわけでも豊富な経験があるわけでもない普通の人)が考えた。

 

恋愛工学への第一印象

「性暴力を生みかねない点を除くと、あまり怒る気にもならない」というのが大まかな内容を知った数ヶ月前に抱いた感想。(「性暴力を生みかねないことこそが最大の問題だ」という指摘もわかるが、伝道師の藤沢氏も、デートレイプになるようなことは避けるべきと一応断りを入れている。)

なぜ怒る気になれないかといえば、恋愛工学のテクニックと女性誌などで紹介される「モテテク」「愛されテク」とがどことなく似ており、既視感が拭えないのだ。

たとえば、非モテコミットの回避は「浮気をさせないためには男を安心させすぎちゃダメ。『オレの他にも彼女を狙ってる男がいるかも…?』と思わせるくらいが〇」みたいなよくあるアドバイスに似ている。トモダチンコは谷間見せやボディタッチに似ている。

全体的に「なんかこういうの見たことあるな…」というのが正直な感想で、「なんじゃこりゃー‼︎」というフレッシュな怒りがほとばしることはなかった。

テクニックにより効率よくうまみを得たい、そういう態度を多少セコいなとは思うが、他人になんと言われようが欲しいものは誰にでもあるだろう。セコいのかスマートなのか、決めるのは彼ら、彼女ら自身だ。

 

恋愛工学という名称について

恋愛工学の目指すところはなるべく多くのレベル高い女子と肉体関係にこぎつけることなので、「恋愛工学というよりヤリ工学じゃないか」という非難がある。だが藤沢氏は一貫して恋愛という言葉を用いる。

恋愛=love、という感覚が批判を呼ぶのだろうが、ここでいう恋愛のニュアンスはおそらくaffairに近い。そういう意味合いで恋愛という単語を使うのもアリではないか。人格同士が向き合う思いやりにあふれたものだけを恋愛と呼ばなければならないわけではない。恋愛はときに熱病であったり、錯覚であったり、事故であったりする。いや、よく知らんけど。

 

ちなみに"工学"の方も納得感あり。これ、理想とかあるべき論はまるっと捨てていて、あくまで「実際これが女に有効だから」という視点のみから追求する現場主義なのだよね。だから恋愛理論ではなく、工学。

よって「名称が不適切」という揶揄も、そうでもないなという感想。

 

なぜ恋愛工学は有効なのか

表面的なことへの感想はここまでにして、そろそろ内容の話を。 

 

既に各所で指摘されていることだが、恋愛工学のテクニックが効いてしまうのは

・「女をリードできる男」を求めてしまう恋愛観

・「セックスには愛が伴っているべき」というセックス観

・「女は男ほど性欲に引きずられて行動しない」という女性観

が多くの女性の内面に植えつけられた結果と言える。もちろん程度には個人差があるが、実際に工学者の成功体験があることはいくらかの実証となる。

 

特に、恋愛工学の忌み嫌われる点のひとつ「セックストリガー」(女性はセックスした男性のことを好きだと思い込んでしまうことを利用した肉体関係の継続。要は恋愛感情を装いセフレとしてキープする)。これは明らかに「セックスには愛が伴っているべき」という女性の価値観を逆手に取っている。セックスしたからには好意を向けるに値する男であってほしい、そしてこちらに愛を向けてほしいという執着を生んでしまう。

 

さらに、恋愛工学テクにより一時的に性欲を煽られてセックスに応じてしまったのだとしても、「女の自分が性欲のためだけに行動することなどあるだろうか、いや、どこか 感情を伴っていたはずだ、そういえばなんだかあの人のことが気になっている気がする…」という具合に術中にはまってしまう。

 

この性質の悪さに女性側は怒りを感じるが、怒ってもトリガーを無効化することはできない。

こうした経験がまるで無い立場から憶測で物を言ってみるが、トリガーが効かない女というのは「あのセックスは事故だった」と処理できる女であり、愛されないセックスをした自分のことを恥ずかしいともみじめだとも思わない女ではないか。

つまり、恋愛工学について肉体と愛情を切り離した振る舞いをする男が糾弾されているが、むしろ女こそ肉体と愛情(と己の尊厳)とを切り離す自由を獲得することで不本意な扱いを避けられるのではないだろうか。いや、何もフリーセックスに走れと言っているわけではなくて。

 

恋愛工学をやめさせることは可能か?

恋愛工学者を説得することは可能だろうか。

藤沢氏による二村ヒトシ氏との対談https://cakes.mu/posts/9927や、はあちゅう氏との対談

www.gentosha.jp

などを見る限り、それはなかなかハードな作業だ。

 

特にはあちゅう氏との対談に顕著なのが、現実論と理想論のすれ違いだ。

恋愛工学への嫌悪感や違和感は、多くの場合「感情の伴った一対一の関係を結ぶのが恋愛であり、その実現方法として恋愛工学はおかしい」というような筋で語られる。

それに対して「実際は女もそういう理想と違う行動をとるじゃん」「誰もがその理想を実現できるわけじゃない」という理想と現実の相違を持ち出されると、理想論は勢いをなくす。

本当は、理想論には理想論の存在価値があるのだが、議論をしてると「事実を言っている人間が正しいし客観的」という雰囲気に飲まれがちである。

 

 そしてはあちゅう氏の語る女性の恋愛観も、

男性側に、気持ちの動きを読んでリードしてほしいとは思います。

であったり、

女性にも、みんなからモテている男性を獲得したい、という気持ちがあるのは否定できません。「あなたしか見えない」ではなくて、「たくさんいるけどあなたしか見えない」と言われたいんです。

であったりと、「だったらやっぱり恋愛工学が効くんじゃん」と思わざるを得ない部分がある。(はあちゅう氏の発言を批難するつもりはない。むしろ矛盾を隠さず浮かび上がらせているのがさすがだなと思う。)

 

リードする役割から男を解放できない女がいるのも事実である。

リードされる役割から外れようとする女をぶん殴る男がいるのも事実である。

男女の内面規範を利用した行為は世の中にいろいろな形で存在する。恋愛工学はそのひとつに過ぎない。

恋愛工学、そしてそれが象徴する男女の規範の非対称性に腹が立つのはもっともだし、怒りを封じ込めろというつもりはない。ただ、恋愛工学を滅しても非対称性は消えない。非対称性の解消を恋愛工学者に求めることはできない。

 

ちなみに、藤沢氏は何を言われても揺るがず持論を展開するので常に相手を論破しているように(特に工学者からしたら)見えそうだが、そういうわけでもないことを指摘しておく。

例えば

はあちゅう (略)この本を読むと、世の中の男性の中に「やったら終わり」という関係性を求めている人が、私が思っているよりも多いのでは……と怖くなってしまいます。

藤沢 たくさんの女性にモテる男、というかヤリチンのことを、女性は誤解しています。そういう男は女をとっかえひっかえしていると非難されるけど、誠実で一途で、結果的にモテない男だって、オナニーするときに、いろんなAV女優をとっかえひっかえ見てるでしょ? (中略)いろんな女性と交わりたいというのが、男性の本音というか、性欲で、全ての男性にそういう願望があることはまったく否定出来ない。やれるか、やれないか。あるいは、やるか、やらないかの違いはあったとしても。

という藤沢氏の主張は、「食い逃げは悪いというけど食い逃げをしない人にも食欲はあるよね、やるかやらないかの違いはあったとしても。」というようなものだ。「違いはあったとしても」じゃなくてその違いこそを問題視しているのだから、これは返答になっていないのではないか。はあちゅう氏(と多くの女性)は食欲を非難しているのではなく、食い逃げが怖いしずるいと言っているのだ。

 

小説本編にも同じことがいえるが、具体的なテクニックとその原理にはある程度説得力があるが、「多数の女を掛け持ちしてセックス獲得を目的にすること」の正当性を語りだすと急に論理展開があやしくなる傾向がある。無理な弁明をしなくても「やりたいからやる」でいい気もするが、おそらくロジックにより工学者の罪悪感を取り除いて教義に邁進させる必要があるのだろう。(あるいは、上記のような問いかけ、その裏にある女性の心情にあまり価値を見いだしておらず、整然と応える必要性はないと考えている、か。)

 

「女の子はスッピンがいいよね」と言われてもムカつかずにいられるか

ここで「恋愛工学なんか小手先で意味ないし女性を騙すなんて卑怯!そんなもの使わずに女性と向き合ってコミュニケーション能力を上げてよ」と言われた恋愛工学者の気持ちを想像しようと試みる。

 

それはきっと、女性が男性から「メイクした顔が素顔と違うのって詐欺じゃん。やっぱり女の子はスッピンか、やりすぎないナチュラルな感じがいいよね」と言われるようなものだ。「ショートカットの女の子っていいよね」でも「シンプルな白シャツとデニムが似合う女の子っていいよね」でもいい。

女性の皆さんはムカつかずにいられるだろうか。うるせー黙れ、と思わないか。薄っぺらいこと言いやがって、と思わないか。「そんなこと言うけどスッピンやショートカットや白シャツデニムの普通レベルの女を実際褒めたりしないだろ!そういうほぼ素の状態でもキレイな女が好きなだけだろ!」と思わないか。私は思う。

 

これを逆に置き換えると、藤沢氏が「女は上位3割の男しか見ていない」と言っているのがどういうことか、そのことに工学者たちがどんな感情を抱いているのかを想像することができる。

しかも彼らが欲しているのは肉体関係とハイスコアプレーヤーとしての称号なので、「見る目のない相手にムカついても放っておけばいい」が通用しない。男を丁寧に見つめない女の精神にムカついても、それがSランクやAランクの肉体に宿っていたなら捨て置くことができないのである。そのジレンマから解放されるために「女の内面に価値はない」というロジックを展開することになる。

 

「女は結局モテる男が好きなんだから、それを擬態して何が悪い」という工学者たちに「すべての女がそうじゃない、少なくとも私は違う」と言ってみたところで、彼らにとって大した足しにはならないであろうこと、いざ女の言う通りに擬態をやめたらさんざんに扱き下ろされかねないという疑念を持つであろうことまでも推察される。 

そういうわけで、「恋愛工学はキモい」と「女の子はスッピンがいいよね」は似ている。言う方の心理は似ていない点もあるが、言われた方の心理は似ている。

これが私の無力感の理由である。

さらに付け加えれば、スマホゲームでガンガン課金している人に向かって「そんなつまらないものに資源を投入するのはやめろ」といったところでプレイ中の人間にとってはそのゲームが非常にエキサイティングであるか既に中毒症状が出ているかで、まったくもって言うだけ無駄な感じにもとても似ている。

ゆえに工学者にはめいめい気が済むまで学問を追究してもらう他ないのではと思っている。

 

恋愛工学が教えてくれること

非恋愛工学者たちにとっての恋愛工学とはなんだろうか。他山の石、という言葉もあることだし、この現象から私たちが読み取れる事実を挙げてみる。
 
・数とはそれ以下でもそれ以上でもなく、セオリーに従えばそこそこ稼げるものに過ぎない。経験数の少なさをコンプレックスに思う必要がどれほどあるだろうか。
 
・工学者は失敗の原因を恋愛工学の修練度に求め、自身の資質には求めない。ならば成功(レベルの高い女性を得ること)も彼ら自身の資質の証左にはならない。
 
・これだけ数をこなして多くの女性にエンカウントした工学者たちが顔、スタイル以外に女性を判じる重要な基準を新たに発見したかというと、そうでもないようだ。人は見たいものしか見ない。だからこちらも見られることを気にせず好きなように生きていい。
 
・自信がある人と自信があるように振る舞える人は違う(当たり前すぎるが一応)。
   
・行列のできるラーメン屋になぜ行列ができているのかは入ってみないと(あるいは入ってみても)わからない。世の中にはうまいラーメンを作らずに行列を作るテクニックがある。客の立場でできることは、他人のレビューより自身の味覚を優先すること、行列に並んだ対価が味で支払われないこともあると知ること、まずいと思った時点で迷わず退店すること、くらいか。なにより、行列に並ぶ判断をしたのは自分であることを忘れてはいけない。
 
・生身の人間を相手にする物事を論理のみで纏めあげることは、知性的であるだけでは難しい。人の話を聞かないことがもっとも重要である。
 
・物事を堂々と言い切ることのできる人間にカリスマ性を感じてしまうと、いつのまにか宗教に入信していることがある。
 
…これだけ多くのことを示唆してくれるのだから、外野としても目が離せないのは仕方ないことだろう。
 
私には食い逃げ犯を走って捕まえる足もなければ、ボランティアで炊き出しをする気力もなく、彼らを唸らせ金を払わせるほどの料理の腕もない。
だが自らが手にしているものが最上の学問であるという自負が彼らにあるのなら、最後にそれは否定しておこう。
「あんたには美学がなさすぎる…」
 
【関連記事】
男が女をリードしなければならない、というこの社会に苛立つ人にはこちらのトピック。

 

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