こりくつ手帖

なにかというとすぐに例え話をはじめる20th century girl

輝く女性と少女漫画脳

私も少女漫画脳だった!

子供の頃はどちらかというと少年漫画が好きだった。ドラゴンボールやらスラムダンクやら幽遊白書やらを見て育った。少女漫画も読まないわけではなくて、小学校低学年のうちは毎月『りぼん』を買っていたし、少女向けアニメも見ていた。ただ少女漫画の恋愛要素にほとんどのめりこめなかった。

 

少女漫画の「かっこいい男の子」は非常に気が利いている。女子の心に刺さることを刺さるタイミングで言ってくれるし、女子と同じくらい恋愛のことを深堀りして考えている。そんなわけないだろう、と思った。優しいキャラにしても無口キャラにしても俺様キャラにしても、彼らの対応は的確すぎる。感情の言語化がうますぎる。そのあたりが女子側のご都合主義っぽくてかえって好きになれなかった。

ちなみに今は「リアリティどうこうじゃなく、フィクションはフィクションとして楽しむものだ」と理解できる。おそらく子供の私は現実の男性と恋愛できない立場ゆえにフィクションにリアルを求めすぎていたのだ。

 

こんなふうだから「私は少女漫画脳ではない」と思っていた。

少女漫画脳とは、少女漫画に出てくる男を理想として現実の男性とのギャップを受け入れられないこと、それだけを指すと思っていた。実際「少女漫画じゃあるまいし」という言葉は「そんな完璧な男なんていないよ」「恋愛に夢を見すぎだよ」という文脈でよく使われる。

 

だが最近ある少女漫画を読み、もう一つ別の種類の少女漫画脳があること、私もそれにどっぷりはまっていたことを思い知らされたのだった。それは『少女漫画の主人公のように光る才能を発揮して自分のアイデンティティを皆に肯定される仕事を手に入れた上にそんな自分を理解し支えてくれるパートナーにも出会い、仕事も愛も手に入れることこそが女の子の最上級HAPPY!脳』である。

 

ご近所物語』で描かれた女の子の完全形態

その作品とは『ご近所物語』だ。ざっとまとめると、次のような内容である。

・主人公・実果子はデザイン系専門の学校に通う高校生。夢は洋服のデザイナーになって自分のブランドを持つこと。その突出した才能と情熱は難なく周囲に認められ、学内で活躍、学長推薦によりロンドン留学に旅立ち、後年はデザイナーとなり念願の店を持つ…というサクセスフル女子。

・同じ学校に通うツトムは実果子の幼なじみでお隣さん。実果子、ツトム、その他数人で立ち上げたフリマサークルでの恋愛模様が描かれるが、2人はわりと早い段階で安定的なカップルとなる。本編ラストでは実果子留学のため遠恋に。その後の番外編では2人が結婚し、実果子は妊娠している。テンションの上下が激しく"素直になれない"実果子を基本いつもまっすぐに受け止めるツトム。


…本題の前にどうしても言いたいのだが、この"素直になれない"ってずるくないか。どんなにわがままでキツいことを言っても本当のあたしはそんなんじゃないの(で愛して)、素直に言えないだけなの(で察して)、本当は優しくて傷つきやすいの!(だからあなたが私にわがままでキツいことを言うのはナシだよ?)って、おい!やめろ!こんなふうに振る舞っても自分を受け止めてくれる人と出会って幸せになろうね☆みたいなドリームはやめてくれ!それ男も女もしんどくなるやつ!もはやドラッグ!あなた人間やめますか?少女漫画やめますか?

ああ、つい!マーク連発でまくしたててしまった。フィクションとして楽しむべきと理解したとか言ったくせに、ダメだ、まるでわかっていない…。さっきは達観した人ぶりました、すみません。素直になれないだけです。


本題としては、ここで描かれている実果子のあり方が

・仕事と恋愛のどちらも手に入れるパワフルでハッピーでパーフェクトな女性像の典型であり、

・私たちは未だにこうなることが至上という思いが抜けない少女漫画脳なのではないか

と問いたい。

厄介なのは、この作品に限らず少女漫画に登場する仕事が大抵デザイナーとか女優とか作家とかであり、会社員や公務員ではないことだ。代替不可能な才能や個性を世間に求められる立場であり、それゆえ家庭を持っても職場のペースについていかなきゃというプレッシャーもなく、ハッピーにマイペースに両立が可能だという夢を見せつけてくるのである。(実際はこれらの職業もそんなに簡単じゃないことは言うまでもない。)

少女漫画はいつしか、理想的な恋愛への憧れだけではなく、自己実現に直結するような仕事への憧れさえも少女たちに植え付けるようになっていた。近頃の少女アニメにアイドルものが多いのはその系譜であるし、一方で恋や仕事が思うようにならないリアルを描いたアラサー女子漫画が流行っているのはその反動である。

「女性が輝く社会に」という政府のスローガンは女性たちから兎角こき下ろされているが、それは私たち自身が誰よりも「輝かなければならない」と強く思い込んでいることの裏返しではないか。


輝かなくても燃え続けたい。

とはいえ、仕事で理想通りの自己実現をすることだけが正解だとは本作は述べていない。
実果子の親友リサは、同じくロンドン留学を進められるものの、同棲中の彼氏と一緒にいることを優先して断る。彼氏に強要されたわけでもなく、自分一人の意思で。そして作中で彼女を説得しようとする人間はいない。
子供の頃の私ならおそらく「なんでリサは彼氏に相談もしないで留学を断っちゃうんだろう?」と思っていた。今読むとここが本作ならではの大人っぽさだと思う。
実果子の道もリサの道も、自分の意思で進むものだから尊いのであり、成功するかどうかでジャッジされるものではないーーそんな視線が確かに存在するのだ。

実果子をはじめとする作中の女の子たちは、輝いているというより、燃えている。外からの光を反射するのではなく、内に光を宿している。
女性を輝く/輝かないと分けたがる外部の光なんて、いつ急に角度を変えるかわからない。そんな光を受けて輝くために自分の心身をカッティングする必要はもうないんじゃないか。自分の心を燃やすことのできる燃料はなんなのか、私たちはそれこそを見つめる段階に来ている。