セーラームーン世代(アラサー女子)の正体はちびうさなのかもしれない
アラサー女子は憧れのセーラームーンになれたのか
ただ、物語の主人公であるセーラームーンとアラサー女子がそれほど似通っているかというと怪しい。むしろ私たちがシンパシーを感じられるのはセーラームーンの娘、ちびうさの方ではないだろうか。なぜならちびうさが抱えるコンプレックスはセーラームーン世代であるアラサー女子が抱える葛藤と痛いほど重なるからだ。
・地球を守るため敵と戦う壮大な使命(やりがいある仕事と能力)を持ち、
・タキシード仮面(ハイスペックで誠実な夫)とちびうさ(子供)も持ち、
・未来では世界を救ったクイーンとして世間からキャリアを肯定・称賛され、
・仲間のセーラー戦士たち(同僚や友人)にも恵まれ、
・その上、フワフワと長い髪、ミニスカートのコスチュームとそれを着こなすプロポーション、宝石をちりばめたキラキラのアイテムを携えて戦う姿は美しく、世界中の少女を虜にした。
こうしたセーラームーンの姿は良く言えば「憧れの女性像」だが、一歩間違えると「女性はかくあるべしという完璧すぎる理想像」となる。
そして私たちセーラームーン世代はそんな理想どおりの姿になれているかといえば…少し、いや、だいぶ自信がない。
一方でちびうさは「自分もセーラームーンのように強く戦い、美しい女性になって、タキシード仮面のような自分だけの王子様と愛し合いたい」と何度も願う。
そればかりか母のようになれない自分へのコンプレックスを敵に付け込まれて一時はダークサイドに堕ちる(闇の力でブラックレディという敵キャラに変身させられる)など、相当こじらせている様子だ。
あれ…もしかしてうちら、こっち側じゃね?
ちびうさがコンプレックスまみれな理由
ちびうさはセーラームーンの血を引いているのに、なかなか戦士に変身することができない。900歳を過ぎているのに、体は子供の姿のままで成長しない。世界を救うパワーの源、幻の銀水晶を使えない。母と違って仲間の戦士もいない。そして父のような理想の王子様も自分にはまだ現れない。ないないづくしである。
アラサー女子が人生を思い悩む理由
こうしたちびうさの「恵まれた不遇」がまたもやアラサー女子と重なる。
私たちは均等法が施行された頃に生まれ、総合職女性の採用も珍しくなくなった頃に就職し、そのことで育児休暇を取得する女性が本格的に増えてきた今では”育休世代”などと呼ばれることもある。
上の世代よりも恵まれた環境に生まれついたのは幸運だが、戦って権利を勝ち取ってきた経験があまりないまま過酷な戦場へ参入し、男性と同じ長時間労働、仕事と家庭との両立、課題が山積した現代の子育て環境、正規・非正規労働の格差…といった数々の強敵に突如遭遇し途方に暮れている。
おひとりさま、DINKSといった言葉が世間に浸透し、昔よりも社会の多様性が目に見えやすい気はする。だが結局世間が称揚するのは、やりがいある仕事・円満な家庭・欠かさぬ周囲への気遣い・疲れを感じさせない美しさ・前向きな姿勢…とすべてを備えたスーパーウーマンだ。選択肢は増えたけれど、正解はひとつのまま。それってかえって難問になっただけでは?思考回路はショート寸前だよマジで!
さて、ここまでは私たちにとってのセーラームーンを「現代で称揚される理想の女性像」と捉えて話を進めてきたが、彼女を「母親世代」と捉えたときにもうひとつの課題が浮かび上がる。それは旧世代の男性観と現代的な男性観とのダブルバインドだ。
ちびうさの理想の王子様はタキシード仮面、つまり自分の父親だ。だからその王子様が自分のものではないことをちびうさは知っていて、自分だけの王子様にはいつ会えるのかと思い悩んでいる。
母親世代から受け継がれている「男は女をリードするもの」という価値観から完全に解放されて恋人を探せる人は少ない。だがいざ付き合った後のことを考えると、現代は働き方や家庭での役割分担、そもそも結婚するのかしないのか、いちいち考え議論するべき岐路が多く、それはリード・被リードの恋愛観で結ばれた関係では対応しづらい。
そして対話は対等にできる関係だとしても、社会的ポジションとなるとまた話が違ってくる。バリキャリの範疇に入るような総合職正社員のワーキングマザーたちでさえも「自分と同じかそれ以上に能力ある人を結婚相手に選んだがゆえに、そういう夫に育休を取らせたり家庭優先の働き方を求めて"キャリアを犠牲にさせる"ことができない」といった悩みがあるのだから、この問題は根深い。(蛇足だが、夫の側にも「妻と同程度以上に"降りる"ことには抵抗がある、必要性を感じない」という意識が拭えないこと、実際問題として夫が降りることに経済的合理性がない社会システムであること、という要因がある。)
要するに、子供のころから形成された王子様像と現在必要とする男性像とに大きな齟齬が生じてしまっており、それには社会的な要因も大いに絡んでいるためになかなか抜け出せない。
そうしたわけでアラサー女子は「自分ではない人のための王子様」への憧憬を抱いたままで今まで見たことのない「自分専用王子様」を探して道に迷っている。ちびうさみたいに、いつでもベルを鳴らせば来てくれる美少年(注1)と巡り会えたらなあ!
禁忌の中に希望がある
とどめを刺すようだが、私たちは経済的な面でも親世代のような戦果はおそらく得られない。
強い敵をことごとくセーラームーンが倒してしまったあとの世界に生きるちびうさのように、高度経済成長やバブルという祭りが終わったあとの日本、人影も少なくなり、祭りに浮かれた人の群れが撒き散らしたゴミがそこかしこに散乱する社会に私たちは生きている。安定した右肩上がりの収入や大企業正社員という威光、そうした旧来的なパワーに限っていえば親世代を超えることは難しい。このあたりの葛藤はアラサー男子も大いに持っているだろう。
それじゃあ希望はどこにあるのかというと、それは私たちが新しい時代を生きる新しい戦士であることだろう。
これまで述べたコンプレックスや苦悩は、旧来的価値観を捨てきれないがためのものだ。苦しみながら価値観の更新をおこない、新しい価値のあるものに出会うことこそが私たちの戦いである。そして戦士になるには覚醒が必要だ。
ちびうさがセーラー戦士に変身したきっかけは唯一の親友・セーラープルートの死である。またその後も20世紀で出会った友達・土萌ほたる(セーラーサターン)の死によってスーパーセーラーちびムーンへの進化を遂げた。
実はふたつの覚醒に共通しているのが、ちびうさがどちらの友人とも「行ってはいけないと言われた場所」で出会っていることだ(注2)。
禁忌を破り、自分の心のおもむくままに従った行動がのちに彼女を覚醒させた。
やってはいけない、前例がない、うまくいくかわからない、こんなんじゃバカにされる。そうした様々な言葉に邪魔されて自分自身が望む選択をためらっていないだろうか。周囲が作り出した禁忌を越えたら、そこには自分の大切な世界を築けるかもしれない。そうして覚醒した力が、いつか世界を助けるかもしれない。
ちびうさは孤独を知っているから、行ってはいけない場所でひとり過ごす友人を訪ねた。悩み苦しむ心があるから出会えるものがある。
いささか前向きすぎる結論かもしれないが、物語のヒロインがくれるメッセージとはそういうものだろう。
心に小さなヒロインを宿し、私たちは安心してコンプレックスにまみれていよう。
美少女戦士セーラームーン新装版(6) (KCデラックス なかよし)
- 作者: 武内直子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/01/23
- メディア: コミック
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注1)第4期デッドムーン編で出会う、ちびうさの”王子様”エリオス。地球の聖地エリュシオンの守護祭司で、初めは敵の呪いによりペガサスの姿となっている。地球の王子であるエンディミオン(タキシード仮面)を呪いから救い、彼のパワーの結晶”ゴールデンクリスタル”を解放したときにエリオスの呪いも解かれ、少年の姿を取り戻す。これは男性の解放によって新たな世代の女性にふさわしいパートナーが生まれることを示唆しており、非常に現代的な要素である。第4期のメインテーマは「子供から大人になるための夢の更新」だが、タキシード仮面を主軸に新時代のパートナーシップへの転換を描いたものでもあり、個人的にここが本作のハイライトだ。敵の妖術でセーラームーンとタキシード仮面が子供の姿に変えられ、セーラームーンが夢を見るシーンがある。夢の中のタキシード仮面はいつもと違ってひたすらセーラームーンに尽くし、甘やかす。それは甘い夢だけど本当のタキシード仮面じゃない、どちらかが相手にひたすら尽くすような関係を求める夢から男女ともに覚めよう、という大変象徴的な場面である。
注2)セーラープルートは時の扉を司る孤独な番人。扉のところへ立ち入ってはいけないとちびうさは母から言いつけられていた。土萌ほたるは立入禁止区域である研究所で暮らしている友人のいない少女。ほたるは父である土萌教授(既に敵に憑依されている)に肉体を改造されており、そのために敵に肉体を乗っ取られて一度死ぬ。これを、親の思想に従って生きることを強制された子供の苦悩と破滅、になぞらえると、ちびうさとの対比が生きる。2人はどちらも親由来の苦しみを抱えているが、親の力の及ばない自分の世界を手にしたか否かが明暗を分けた。
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