こりくつ手帖

なにかというとすぐに例え話をはじめる20th century girl

『問題のあるレストラン』最終回感想 なぜスプーンは落とされたのか

今クール観てきたドラマのひとつ、『問題のあるレストラン』が終了した。

直前の第9話を観た時点では
「残り1話で収まらないっしょコレ…」
と思っていたのだが、終わってみればここ最近見たドラマの最終回の中でも屈指の腑に落ちる最終回だった。
すっきりした。やられた、と思った。
 
でも明らかに賛否が割れそうなまとめ方なのでTwitterなどを見たらやっぱり割れていて、またまた腑に落ちた。

 言うまでもなく、裁判とビストロ閉店の経緯への説明がなく、雨木社長との対立関係があっさり終了していることがモヤモヤを生む主な要因になっているのだが、まさにそこが技ありだったように思うのだ。

あの妙にフワフワした最終話の何がどういいのか、ってのが言い表されてるテキストが欲しくなったので、自分の解釈をまとめてみることにした。
(長いです。)
 

9話までに描かれたもの

このドラマが1話でぶち上げた命題は『男社会で女が直面する理不尽とどう対峙するか』。
ドラマの序盤は理不尽あるあると、女達が戦闘態勢に入りまとまっていく様が描かれる。
でも女だけの世界を作ってそこでうまくやれればOKってのは非力じゃね?と思ったら、川奈の「美人OLストーカー事件」はやっぱりうやむやな幕引きとなり、一方で喪服新田も星野の行動に傷付いていた。
そこで烏森が「誰かが怒る方をやんなきゃいけない」と覚醒。
理不尽に対してちゃんと怒り、対峙することの必要性が語られる。
そして被害者の五月にとって裁判がどんな意味を持つのかにフォーカスしたのが8話だ。
 
この辺りまでで既に『女がどう戦うか』という内容はほとんど示されていて、代わりに存在感を増してくるのが男達だ。
門司や星野の変化、五月の恋人(共闘できる男)の登場と、男性キャラに多様性が出てくる。
9話では元部長土田の内面(娘への感情と現状への諦念)を書き加えたり、門司が「雨木社長もあっくんなのかも知れない」と語ったりと、『男社会に飲み込まれている男をどうすんのか』という問いが強調されるのだ。
 
男社会を作り運営する側と見なされる男達は、初めから女を差別しようと考えて生きてきたわけではない。
女と同様、既存の社会にただ産み落とされただけだ。
男女の立場に差のついた既存構造が、一部の男の無関心や横暴を招き、差別が再生産される。
凸凹に歪んだ既存社会の中で、女がどう抗うかだけではなく、男がどう抗うかを示さないと、問題はなくならない。
ドラマ終盤の問題意識はここに移っている。
 

裁判は雨木を救わない

最終話では、雨木に社会的制裁が加えられたことは確認できるが、裁判の詳細はまるで描かれない。
それは、裁判の結果が雨木を変えることがないからだろう。
たま子の訴えも、世間のバッシングも、雨木にとっては迷惑なクレームでしかなかった。
周りが何をしても、彼が他者の人格を認めることはなく、自分自身の人格を見つめることもないのだ。
 
他者の力では変われない、救われない人がいる、というのはリアルだ。
追い詰められて苦しんだ雨木が他者の苦しみに思い至り、多かれ少なかれ反省する…みたいなファンタジーにならなくてよかった。
 
裁判の流れを省かない方が親切ではあるし、何かの都合で1話カットされたのかも知れない。ただ、裁判を通して五月が望むような対話が可能な相手だったかどうかはもはや明らかだろう。
そこに時間を割かないかわりに最終話で描かれたのは、この社会を生きるための二つのメッセージだ。
千佳から弟への言葉と、屋上のビストロ閉店である。
 

大切なことはみんな千佳が教えてくれた

男女の不平等について考えるとき、息子に何をどう伝えていくかというのが難しいと常々思っている。
女を差別しないように気をつけろ、という言い方は男であるというだけで彼らを抑圧することになってしまいそうだし、男女は本来平等なんだよ、っていうだけだと実際はあちこちに転がっている女性差別男性差別に鈍感になってしまうかも、などと逡巡していた。
 
そんな中で千佳の台詞を聞いて、そっかシンプルにこれが基本だな、と感じられたのだ。

 

人に優しくすると、自分に優しくなれます。
人のことがわかると、自分のことがわかります。
人の笑顔が好きになると、自分も笑顔になります。

自分は自分でつくるの。

  

雨木社長が変わらないのは、彼が誰とも向き合っていないからだ。

他人は彼のすべてをつくることができない。

人には自らの行動でしかつくられない部分がある。

 

「セクハラってなに?」と尋ねるような幼い息子に雨木は「俺に代わって社会に復讐してくれ」と呪いのような言葉をかける。

歪んだ世界に今まさに飲まれようとしている少年よ…逃げて…!と思ったところで千佳が彼に歩み寄り、上記の台詞を告げるのだ。

 

ここで、千佳が弟の手を引き「もしかして連れて行っちゃうのかな?」と一瞬思わせながら、そうはしない、というのが秀逸だった。

私はあなたに何もしてあげられません、と彼女ははっきりと言うのだ。

女が守ったり癒したり許したりしなくても、彼には、男には、人には、自分で自分をつくる力がある。

社会や家族がどんな呪いをかけても変えることのできない部分が誰にもあるはずだ。

そんな希望を託すようなシーンだった。

 

誰かが他の誰かを完全に変えることはできない、という事実は、時に断絶を生み、時に希望ともなる。

その両方を雨木親子が表していた。

父の呪いを蹴散らす術を得るという形で、千佳の復讐は成された。

それはかつて父の写真に突き刺した包丁よりも、はるかに力強い。

 

屋上のレストランは何故閉店したのか

みんなで楽しくやっていたビストロが、突然外野からのクレームによって閉店。
どうしてやめなきゃいけないの?
確かにスプーンが落ちたのは過失かもしれない。
でもそんなに怒られることか?
顔も人格も見えないやつが、次々と文句を言ってくる。
とんだ邪魔が入った…。
 
この3ヶ月ですっかりビストロフーが好きになってしまった私達は、ついそんな風に考える。
しかし これって、「セクハラ訴訟に対する雨木社長の態度」と非常に似通っていやしないだろうか。
クレームの主の姿も主張も明かされないままのビストロ閉店は、彼の視点を追体験させるために描かれたように思えるのだ。
 
これまで画面上で有形無形の暴力にさらされる被害者は女達だった。
女の痛みを想像もせず自分達の居心地よい世界を手放さない男達の姿に、私達は苛立ちと既視感を覚えた。
けれど、最後の最後で女達が誰かにとっての加害者となったとき、ビストロフーという居心地よい世界の終了を惜しまずにはいられない。
 
被害者は暴力に敏感だが、同じ人間が加害者となったとき、同じように敏感であることは難しい。
問題のある「男社会」の解体が一筋縄ではいかない原因は、男が愚かだからではなく、今いる場所の居心地の良さを手放したくないという気持ちが誰にでも生じうるからだろう。
 
楽しい屋上のレストランから不注意で路上に落ちたスプーンは、誰もが発しうる「無自覚な暴力」の象徴だ。
私達は人生の様々な場面で、誰かの下に置かれたり、誰かの上に立ったりしながら生きている。
シンフォニックの向かいでも裏手でもなく、見上げたビルの屋上に現れて消えたビストロフーは、無自覚な暴力の被害者と加害者を転換させるための舞台装置だったのではないか。
その仕掛けを以って、加害者として暴力の指摘を受け止める難しさを私達は体感したのではなかったか。
 

エンタメ感を取り戻す後半

2皿のメインに満たされながらも、その重たさに(3人娘とともに)呆然としていると、最後のお楽しみとばかりに女たちが再び楽しげに動き出すシーンが次々と運ばれてくる。

ビストロ最後の光景、真夜中の恋バナ、そして300日後の海辺。

物語が終わりと始まりを告げる。

和やかな後半の端々にも意味ありげな要素が潜む。

  • プロポーズを巡りすれ違ったカップル。相手の思惑を勝手に想定せず、会話しようということか。
  • 戦いを経てもなお、恋バナで盛り上がり、門司達と海辺でレストランバトルを再開する女達。「戦う女は男を排除する怖いもの」ではない。一緒に幸せに向かっていきたいのだ。
  • たま子が発した「(いつか自分と合う人に出会うのを)あきらめない」という台詞は、「(男達と向き合い、共に生きることを)あきらめない」という意味合いにも聞こえた。

そんなことを考えながら最後まで個性的な7人を眺め、最終話が終了した。

 

その他雑感

  • 冒頭のみんなの夢。たま子に声をかけられる場所は、彼女たちが「自分には行けない」と強く意識していた場所。コンプレックスの素?(川奈=女一人で歩く都会の裏道、三千院=古き良き家庭像、ハイジ=女湯、新田=ボルダリング=頭だけでは通用しない、体も使って飛び込む場所=社会や恋愛?)
  • きゃりーぱみゅぱみゅ登場シーンのカップスは、レストランの楽しさを演出するとともに、「暗黙のルールや場の空気に従ってみんなが動く世界」を象徴。内輪には楽しく、外野にはいくらか不気味に映ることが表れている。
  • たま子と門司がスプーンのクレームについて話す場面の「たった一人のクレームで?」「他の人は何も言ってないんだろ」という台詞がやっぱり企業内のセクハラとリンクするような。
  • 週刊誌の『二代目社長の傲慢』という見出しへの雨木社長の呟き「俺は親父に何もしてもらってねえよ」という台詞。ほんとに何も教えてもらえなかったんだろう。
  • 周太郎(雨木息子)かわいい。
  • ビストロの黒字840円…300日後に海行ってる場合なんだろうか。でもここで大勝利ってのも違うか。
  • 「知り合いが相続税払えないって言ってて…」三千院さんやっぱ実家はそれなりにいいとこなのか。
  • 海行きてー。

 

おわりに

9話を終えた時点で説明しなきゃいけない事柄とまだ語られていないメッセージがあり、詰め切れるのか心配だったが、思いっきり説明の方を省いたことで最後までメッセージ性の強いドラマになっていると感じた。

最終話のメッセージを入れたことで、ジェンダーや差別を題材とするときに生じやすい偏りがだいぶ少ないものになったのでは。

1話あたりの「男が総じてクズ状態」が辛くて視聴を諦めた人(特に男性)にこそ観てほしいな、と思った。

 

けれどどうだろう。

これが男の生きづらさをテーマにした物語で、「女がみんな男を苦しめるダメ人間」という演出で始まるストーリーだったら。

私はここまで目を逸らさずに楽しむことができただろうか。

少し、自信がない。

 

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