こりくつ手帖

なにかというとすぐに例え話をはじめる20th century girl

『デート』『問題のあるレストラン』の共通点と最終回の差

今期2トップ作品の共通点

ついに『デート』も終わってしまった。

今季のドラマは話題性が高いものが多かったが、中でも『デート』と『問題のあるレストラン』をあわせて評価している人が多かったのが印象的だ。
私も、この二作にハマっていた一人だ。
そのため勝手ながら見出しで今期2トップと据えさせていただいた。
 
言うまでもなく両作品に共通する大きな魅力は、軽妙なセリフの応酬と小ネタを散りばめた脚本である。
毎週必ずツボに入るシーンがあるのは嬉しい。
また、アクの強いキャラクターとそれを的確に表現する演技・衣装・美術、旬の俳優陣、主題歌の歌詞との世界観のリンクも多いに楽しませてくれた。
 
つまりはどちらもドラマとしての完成度が高いということなのだが、それ以上に、描かれたテーマが時代に適合していたために高評価を得たと思う。
そして二つを並行して観続けた人が多いのはテーマに類似性があるためだろう。
 
これらはどちらも現代を生きる個人の「ままならなさ」を描いた物語である。
 

『デート』最終回までの感想

『問レス』については既に重量感あるレビューを書き散らしたので『問題のあるレストラン』最終回感想 なぜスプーンは落とされたのか - こりくつ手帖、ここでは『デート』について触れたい。
 
まず1話から理系女子と高等遊民の弁舌が冴え渡り、完全に持っていかれた。
理系女子である私は依子のような理系女子に出会ったことはないが、そのあたりのリアリティはどうでもよくなるほどに二人の理屈は痛快だ。
「恋愛を必要としない結婚があったっていい!」「どうして男には働かないという選択肢がないんだ!」どちらもおっしゃる通りだ。
 
個人の生き方、とりわけ結婚と仕事に関する選択は、ここ数十年で旧来の抑圧からはだいぶ自由になったように見える。
けれど、なんでも自由に選んでいいよと言われる一方で正解とされる選択は依然としてあり、そこから大きく外れる選択を肯定することは当人にも周囲にもハードルが高い。
旧来の結婚観・家族観から脱して自由な恋愛を獲得したら、今度は「自由恋愛の末結婚すべし」という命題が生まれてしまった。
男は仕事、女は家庭という価値観の押し付けを拒否したら、今度は「男も女も、仕事も家庭も」という新たな圧力が生まれてしまった。
とかくに人の世は住みにくい!BY!漱!石!
 
そんな閉塞感漂う社会への不適合を全身で表明しながらも周りの人間と誠実に向き合う依子と巧の姿は清々しく、彼らがありのままで幸せになれることを願わずにいられない。
まさか巧が依子のために就職活動を始める、みたいなラストだったらモヤモヤだな…と思ったのだが当然そんなこともなく、二人は最後まで変わることなく迎えるべき結末を迎えた。
安定のフライトである。
 
どうせなら本当に恋愛抜きの結婚をさせたらとも思ったが、それではカタルシスがなさすぎるか。
初回で月9らしさを裏切った二人が月9らしさの極みに到達するという明快な面白味を味わわせてくれた最終回だった。
 
さらに安心して観られる要素を挙げれば、依子と巧は生きづらそうなキャラクターだが、周りの登場人物はクセはあっても善人ばかりで、二人が疎まれたり避けられたりする場面もほぼない。会話が成り立たない人物がいない。
『問レス』初期のダメ男オールスターズにささくれ立った心をなだめる意味でも、セット視聴推奨である。
 

2作の最終回の評価に差がついた理由

『デート』最終回は「伏線回収も見事な納得のハッピーエンド」と高評価が目立つ。
一方『問レス』は最後まで楽しめたという声と、最終回で評価を下げる声の両方が聞かれた。
 
先日レビューで述べたように『問レス』が裁判とビストロ閉店の説明をしなかったことは大きいが、それ以外にも、両作品が次のような対照的な構造を取っていることに原因があるように思う。
  • ままならなさを抱えて挑む対象が「恋愛」か「社会」か
  • はじめに裏切るか、後から裏切るか
2作とも、世の中で当然のようにまかり通っている理屈がいかに人格ある個人を抑圧しているかを共通して指摘している。

生きづらさを抱えた私達は社会が変わってくれることを願っているが、一朝一夕には変わらないのは厳然たる事実だ。

 

『デート』は「恋愛不適合」な二人が「恋愛できるのか」が主題である。

巧が高等遊民でいる事情は説明されているが、彼が働くためにはどうしたらいいかという答えを社会に求めてはいない。

依子も不器用であるが職場では能力を発揮できているし、恋愛においても、理屈っぽい女を避ける男ばかりで困る!こんな世の中はおかしい!というように他者の変革を求める向きはあまりない。これまで恋愛できなかったのも、あくまで依子が主体的に好きになる相手が見つからなかったからだ、ということがバレンタイン回などで示される。

(なお二人ともお見合いパーティーではそれなりに他者に冷遇されるが、二人も負けず劣らずの厳しさで他者をジャッジしている。)

恋愛が成り立つかという命題は二人の間にあり、二人で決着をつけられるものだ。

 

『問題のあるレストラン』が挑んだのは理不尽な社会の構造だ。

戦う女達の苦悩はリアルで共感を呼ぶが、リアルであろうとすればするほど問題の根深さが浮き彫りになっていく。

問題が複雑すぎる。スッキリした結末を描かない方がかえって誠実なんじゃないかとすら思う。

 

さらに、上記の違いから生じる差でもあるのだが、主に登場人物の心情が『デート』は後半に向けて分かりやすくなり、『問レス』は後半に向けて分かりにくくなる。

 

『デート』の二人は月9らしからぬ恋愛不適合な変わり者として登場した。

それが話が進みお互いが対話を重ねるにつれ、不器用な女と優しすぎる男といった親近感のある姿でもって描かれていく。

 

一方『問レス』は女が被る理不尽あるあるで共感を集めた前半から、後半はまだまだ議論の足りていない「男社会の中の男が抱える問題」にも光を当てて視点を分散させているため、理解の難度を増すつくりになっていた。

また、社会をどう生き抜くかということへの答えは千佳の「自分で自分をつくる」というセリフなのだが、これも「社会がクソでも自分をつくることだけは可能なんだ!」と捉えるか「そんなのわかってるけど他に答えはくれないんだふーん…」と感じるかという差が発生しただろう。

 

全編を通せば甲乙つけがたい

以上のようにテーマと構造の面で終盤の『問レス』はいささか不利であると思う。

千佳のキャラクターの変化や二人のセーラージュピターの戦いと和解など(理不尽あるあるのピーク)の盛り上がりの大きさを考えれば、2つの作品は甲乙つけがたいものだったと感じる。

 

これらが月曜と木曜、という配置も一週間を楽しく過ごすのにちょうどよかった。

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